風が紡ぐ庭の物語:老舗庭園の守り人が語る四季
街の風に耳を澄ませて:緑風庵の朝
「風の肖像」の朝は、いつも澄んだ空気とともに訪れます。特に旧市街の奥まった一角にある「緑風庵(りょくふうあん)」と呼ばれる庭園では、朝露に濡れた石畳がしっとりと光を反射し、風がそよぐたびに葉が奏でる繊細な音が、訪れる者の心を静かに鎮めてくれるかのようです。この庭園は、古くからこの街の人々に安らぎと季節の移ろいを伝えてきました。
今回お話を伺ったのは、その緑風庵で代々庭師を務める杉山源一郎さん、御年七十八歳。長く風雨にさらされたかのような皺が刻まれたその顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいました。しかしその眼差しは、庭の隅々まで見通すかのように鋭く、深く、自然と対話してきた歳月を物語っていました。
風と共に生きる庭の守り人
杉山さんの日常は、日の出とともに庭に出ることから始まります。一本一本の木、一輪一輪の花と向き合い、その日の様子を感じ取る。それはまるで、長い付き合いの友人の声に耳を傾けるような時間だと仰います。
「この街の風は、ただの風じゃないんですよ」と杉山さんは静かに語り始めました。「時に海から吹き付ける強く厳しい風が、木々の枝を鍛え、根を深く張らせる。またある時には、山から下りてくる優しい風が、花々の香りを運び、庭全体に生命を吹き込んでくれる。私にとって、この風は庭の呼吸そのものなのです。」
杉山さんの言葉には、街の地理的な特性と、それが庭園の生態系に与える影響が深く結びついていることが窺えます。風の強弱、方向、温度、湿度。それら全てが庭の生命を形作る重要な要素として、長年の経験から培われた知見となっていました。
樹木と語らう、生命の哲学
庭師の仕事は、単に美しい形に整えることだけではありません。杉山さんは、庭の生命を「あるべき姿」へ導くことだと仰います。
「たとえば剪定(せんてい)にしても、単に伸びた枝を切るだけではないのです。木はそれぞれ、自分自身の物語を持っています。どこへ枝を伸ばしたいのか、どんな風に葉を茂らせたいのか。彼ら自身の生きたい形を見つけて、そっと手助けする。それが私の役目です」と、杉山さんは幹に触れるように優しく言葉を紡ぎます。
彼は、庭の草木一本一本に意思があると感じているようでした。夏の強い日差しの中、庭に涼やかな日陰を作るのは、樹々が互いに寄り添い、葉を広げる知恵なのだと。そして、冬の寒さに耐え、春に芽吹く生命力は、未来への静かな希望を象徴しているのだと。杉山さんの手によって手入れされた庭は、ただ美しいだけでなく、生命の営みそのものが感じられる生きた美術館のようでした。
街の人々もまた、緑風庵の庭園を大切な心の拠り所としています。朝の散歩、午後の読書、夕暮れ時の瞑想。それぞれが思い思いに庭の恩恵を受け、杉山さんの仕事が街の日常に溶け込んでいるのです。
風に乗り、未来へ繋ぐ肖像
インタビューの終わりに、杉山さんは遠くの山並みに目を向けました。
「私ももう年を取りました。いずれは次の世代にこの庭を託すことになるでしょう。しかし、この庭の生命は永遠に続いていく。風が季節を運び、種が新たな命を宿すように、この庭もまた、形を変えながら、ずっと街の人々の心に寄り添い続けるはずです」
彼の言葉には、自身が手入れしてきた庭への深い愛情と、生命の循環に対する穏やかな受容が滲み出ていました。杉山さんの「肖像」は、風に揺れる木々のようにしなやかで、しかし確固たる生命力に満ちているように感じられました。
杉山さんが守り続ける緑風庵の庭園は、単なる美しい景色ではありません。それは「風の肖像」という街の生命、時の記憶、そして人々の心の拠り所そのものでした。彼の言葉は、私たちに立ち止まり、自然の声に耳を傾けることの大切さを教えてくれます。そして、ゆっくりと流れる時の中で、生命が織りなす繊細で力強い物語に、そっと心を寄せることの豊かさを感じさせてくれるのです。